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イスラエル旅行記 2015年3月12日〜20日

 
3月12日(金)

ブリッジス・フォー・ピース(平和への架け橋)主催のイスラエル旅行に参加させていただいた。
このツアーは年齢制限があり、25歳〜40歳までの教会リーダーに限るものだった。

39歳の私はぎりぎりだったが入れていただき(イスラエルで40歳になり、ツアーメンバーの皆にお祝いしてもらった)、
同世代、そして若い皆さんと共に有意義な旅行を楽しむことができた。
ツアーメンバーは北海道(私のこと)から沖縄まで日本の様々な場所から集められた20名で、チャプレン(牧師)、現地ガイド、
ブリッジス・フォー・ピースのスタッフを入れて全部で23名だった。

念願のイスラエル旅行だった。
イスラエルは聖書の舞台であり、キリスト教のルーツの土地であり、何よりイエス・キリストが生まれ、生活し、伝道し、教え、
そして死なれてよみがえられた場所である。聖書から説教している牧師の私が行きたくないはずがない。

ぜひとも行きたいと昔から思っていたし、死ぬまでには行きたいと思っていた。
一生に一度は行きたいと思っていたが、しかし、なかなか行く機会がなかった。

様々な国(一週間以上滞在している国を挙げると、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、パプアニューギニア、中国、韓国、
インド、イギリス、イタリア、ノルウェーだろうか)に行っている私だが、なぜかイスラエルには行くチャンスがなかった。
でも今回行くチャンスが与えられ、本当に嬉しかった。

初日は移動日で、韓国のインチョン空港乗り継ぎ(3時間待ち)で、イスラエルのテルアビブのベン・グリオン空港に夜着いた。
とにかくイスラエルは遠い。韓国からイスラエルまで約12時間のフライトだった。

何と初日は写真を全く撮っていなかった、、、、、13日からいよいよイスラエルでの旅が始まる。

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3月13日(土) 

  いよいよイスラエル旅行が始まった。このバスに乗って毎日移動した。中がゆったりとしていて移動が苦にならなかった。むしろ移動中の景色を楽しむことができた。

最初の訪問地は、ベエル・シェバだ。ネゲブ砂漠最大の都市である。

信仰の父アブラハム・イサク・ヤコブの町として知られているベエル・シェバ。古代イスラエル南端の荒野の町。 

アブラハムがアビメレクと契約を結んだ場所(創世記21:31ー33)、ハガルとイシュマエルが追放された場所(創世記21:14)、アブラハムが住み着いた場所(創世記22:19)である。

またイサクが神から祝福を受けた場所(創世記26:23−25)、ヤコブが礼拝を捧げた場所(創世記46:1)である。

3人ともベエル・シェバで神に祈りと礼拝を捧げている。ここは神を神として認め、祈りと礼拝が捧げられた場所である。

 



   

 

イスラエルの6割が砂漠と言われている。このような荒野の町で生活した4000年前のアブラハムたちを覚えた。
荒野で出会うことのできる神を覚えることができ感謝だった。
人生と働きがうまくいいかない時、すなわち荒野の時、特別な形で出会うことのできる神を覚え、アブラハムたちが祈りと礼拝を捧げた場所で、
4000年が経過した今、私たちもアブラハムたちが信じていた同じ神に祈りと礼拝を捧げることができ、感慨深い時になった。


この日は荒野体験の一日になった。ジープで荒野を旅し、徒歩で散策し、ピクニックランチを楽しんだ。
一日の体験なら良いが(もしくは数週間や数ヶ月までなら良いが)、生涯を荒野で暮らすとなると、快適な生活に慣れてしまっているので、
自分には厳しいかな、、、、でも荒野を五感で体感することができ感動した。貴重な体験であった。

   

   
 

イスラエル建国の父(初代首相)ベングリオンの墓を訪ね、一日の最後はベエル・シェバから更に南下してミツペラモンへ行き、
ラモンクレーター(ネゲブ砂漠にある広大な窪地)を見学した。絶景だった。



   



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3月14日(土)

早朝、ホテルから歩いてミツペラモンのラモンクレーターへ再び行き、それぞれが神の前に静まり、聖書を読んで祈りつつ、日の出を待った。
その時にメンバーの誰かの声が聞こえ、振り向くとシカ(正確には名前が違うかもしれません)が歩いてくるではないか!
(北海道ではシカの写真を撮ることができなかったが、イスラエルでは撮ることができた)  それから美しい日の出を見た。




 



朝食を食べた後、要塞だったマサダへ向かった。ここはユダヤ人たちが悲劇的な死を遂げた場所である。

AD66年、ユダヤ人はローマ帝国の圧政に反乱を起こしたが、ローマ軍の攻撃によって、首都エルサレムは陥落した。
イエス・キリストが語られていたエルサレム滅亡の預言が成就したのです(ルカの福音書19:41−44)。

AD70年、ローマ軍に追われたユダヤ人たちが死海のほとりにある天然の要塞マサダに逃げ込み、3年間の籠城の果てに(ヘロデ大王
が冬の宮殿として建設した施設、武器や食料を使用して)、
AD73年最後はローマの奴隷になるよりは死を選び、960人が集団自決した
場所である。

正確には、まず男性たちがすべての女性と子供を殺します。男性たちでくじを引き、生き残る10人を選びます。
この10人が男性たちを殺します。そして最後にまたくじをひき、1人が9人を殺し、この一人が自決したのです。

でもこの話には続きがあり、実は全員が死んではいなかったのです。洞窟に隠れていた2人の女性と5人の子供たちが生き延びたのです。
集団自決のことは女性がローマ軍に伝えたのです。このことはヨセフスが記した「ユダヤ戦記」に書かれているが、実際マサダに来て、
ガイドさんからこの話を聞いた時に、本当に何とも言えない暗い気持ちになった。

以後、1948年のイスラエル建国まで、ユダヤ民族は長い離散の歴史を歩みます。
この場所で、イスラエルの苦難の歴史に思いを馳せました。

            これはマサダ要塞の模型です。
   
 

マサダで昼食を食べた後、午後はクムランと死海へ行った。

まずクムラン。ここはマサダ同様聖書には出てこないが、イスラエルの歴史において大切な場所である。クムランで1947年、
イスラエル建国の前年、紀元1世紀に写本された旧約聖書のイザヤ書全巻などが発掘された。

クムランは聖書を正確に写していた1世紀のエッセネ派が共同で生活し定住していた場所である。
バプテスマのヨハネはエッセネ派に属していたと言われている。エッセネ派はイエス時代のユダヤ教三大宗派の一つだった。
他の二つは福音書によく登場するパリサイ派とサドカイ派。

AD67年、エッセネ派はローマ軍により殺されたが、洞窟に隠した写本が奇跡的に生き残り、何と20世紀になって発見された。
いわゆる死海写本である。これは歴史的な発見で、20世紀最大の考古学的発見と言われている。
これらの内容は今の聖書と変わらない内容で、2000年の時を経て聖書が保存された訳である。
聖書の写本の正確さは一級品で、聖書以上に正確な写本は他のどのような書物にもないでしょう。聖書のすごさを改めて実感することができた。

   

                                                    
   


 

次は死海(別名塩の海)で、ここで死海浮遊をした。楽しかった〜。

海抜約400メートル、30
%の塩分濃度で(海水の塩分濃度は3%)、沈まないと言われている。

驚くべきことは、死海に入ったことによって、肌が本当にツルツルになったことだった。味を占めて泥を体に塗った。すると更に肌がツルツルしてくるではないか!

教会の女性陣には、死海の泥で作った石鹸をおみやげにした。

この後、北上してガリラヤ地方へ向かった。

 


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3月15日(日)

この日は一日ガリラヤ地方を見学。
ガリラヤ地方は砂漠(荒野)と対照的で水が豊富な地。ガリラヤはイエス・キリストの働きの中心地だった。

まずはガリラヤ湖を見下ろすことができるアルベル山へ行った。
ここはイエス・キリストが弟子たちに大宣教命令を語られたと言われている場所。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」 (マルコの福音書16:15)

自分にも語られている言葉として、もう一度受け取った。それにしても綺麗な景色だった。

   
 


次に山上の垂訓教会を訪問した。
マタイの福音書5〜7章にイエス・キリストが語った説教があるが、これがなされた場所がこのあたりであるということだ。
山上の垂訓は
歴史に残る説教で超有名である。この説教が世界の歴史にどれほどの影響を与えてきたか計り知ることはできない。

   


   




その後、カペナウムへ行った。ここはイエス・キリストがガリラヤ宣教の拠点とした場所である。シナゴーグ跡などを見学した。

ランチはピーターフィッシュ(ペテロの魚)で、ガリラヤ湖でとれた魚だ。美味しかった。

午後はガリラヤ湖を湖上遊覧した。ガリラヤ湖は福音書によく出てきて、イエス・キリストが働かれた場所なので、私が特に行きたかった
場所の一つだった。意外と風が強かった。聖書でガリラヤ湖のことを何度も読んでいて馴染みがあるので、嵐を静められたことなどを
思い浮かべながら船に乗り、とても楽しかった。今回実際に見て、感じて、湖のイメージをつかむことができて本当に良かった。

   


   


この日の最後はペテロ召命教会。ここで礼拝を捧げた。

ヨハネの福音書21章に書かれているが、イエス・キリストがペテロの3度の裏切りに対して、ペテロに3度の赦しを与えた出来事が
起こった場所である。

ペテロはトラウマが癒され、回復が与えられた。そして再度イエス・キリストから「わたしについて来なさい」と招かれ、ペテロが
再献身をした場所。神に赦され、方向転換して、再出発した場所。

自分もこの場所で皆で礼拝を捧げている時に、また一人ガリラヤ湖で静まっている時に、再献身することができ、再出発する決心を
することができた。本当に感謝な時であった。
今回のイスラエル旅行で一番感動し、心が動かされたのはどこかと言われれば、私にとってはペテロ召命教会だった。
正直に言えば、一人静まっている時に涙が出てきた。なぜならイエス様が私の心と霊に触れられたのがはっきりと分かったからだ。


   

        

   

           ガリラヤ滞在中泊まったのは、キブツでした。ここは私がキブツに持っていたイメージとは違い、とてもキレイな施設でした。


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3月16日(月)

 

朝一番で「パンと魚の奇跡の教会」を訪問。ここはイエス・キリストが5つのパンと2匹の魚を祝福して増やし、5000人の群衆を養うという
奇跡を起こした場所(マルコの福音書6:35−44)。その奇跡を記念して建てられた教会。

これでガリラヤ湖とお別れ。でもガリラヤ地方は続く。
次は「
カナの婚礼教会」を見学。
ここはイエス・キリストが最初の奇跡を行われた場所(ヨハネの福音書2:1−11)。
結婚式でぶどう酒が足りなくなった時に、イエス・キリストが水をぶどう酒に変えた。そのしるしと不思議を記念して建てられた教会。
イエス・キリストはしるしと不思議をなされるお方なのだ。それは今も変わらない。

            パンと魚の奇跡の教会                                    カナの婚礼教会
   

  そしてナザレへ。ナザレもガリラヤ地方。ナザレはイエス様が育ち成長した町。

まず「受胎告知教会」を見学。イエスの母マリヤが天使の訪問を受け、救い主を
みごもっていることを告知された場所。

それを記念して建てられた教会。マリヤは天使の言葉を聞いて、「どうぞ、あなたのおことばどおりになりますように。」と応答した。


イエス様の時代はカナの方が栄えていたようだ。しかし、今はナザレの方が栄え、人口が多い。

ガイドさんによるとナザレの町にはクリスチャンが3割もいるそうだ。


 




それから1世紀のナザレを再現した「ナザレ村」へ行った。ここはクリスチャンの方が運営している。説明が分かりやすく勉強になった。


             イスラエルの地図。                                            羊飼い
   

  
この地図に沿って、地方名で言うと、北がガリラヤ地方、真ん中がサマリヤ地方、南がユダヤ地方、もっと南は砂漠。

  町名で言うと、ガリラヤ地方にカペナウム、カナやナザレがある。もちろんガリラヤ湖もある。
  ユダヤ地方にはエルサレムとベツレヘム(今回は行くことができなかった。イエス誕生の地)がある。そして死海がある。
  簡潔でなかなか分かりやすい地図である。



 上の2枚の写真がナザレの町の景色。下の2枚の写真がナザレからエルサレムへ向かうバスの中から撮った写真。
 旅はいよいよクライマックス。エルサレムへ出発(夜到着)。 
      

 
   

 

   

 

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3月17日(火)

この日は一日エルサレム観光。

まずはホロコースト記念館。ホロコーストの事実と歴史を辿ることのできる貴重な記念館。
ナチスドイツによって600万人の尊いユダヤ人の命が奪われた。
北海道民の人口が約550万人だから、北海道の人口よりも多い人数が虐殺されたというのは本当に衝撃的だ。

殺された人々の名前や写真が天井や横の壁いっぱいに飾られている大きな部屋があった。ユダヤ人の悲劇の歴史を見せられた。
イエス・キリストと彼の弟子たちや旧約聖書に出てくる人たちも皆ユダヤ人である。選民ゆえの苦しみは想像することができないほどだ。

今のマスコミは基本的に反イスラエルでパレスチナ寄りである。イスラエルにも悪い面はもちろんあると思うが、公平で正しい報道がなされて
いないので、多くの日本人が間違った偏った知識を持ってしまっているのは本当に残念だ。
このようなことが反ユダヤ主義を今でも生み出していくのである。

記念館の中を写真で撮ることは禁止されていたので、撮れたのは外の写真だけ。


                    ホロコースト記念館へ行く前にエルサレムで泊まったホテルのベランダから撮った写真
   

                                     ホロコースト記念館
   


 

次にオリーブ山とゲツセマネの園へ行った。


まずオリーブ山。ここはエルサレムを見渡せる素晴らしい所。エルサレムはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地である。

私たちの旅のクライマックスは、まさにイエス・キリストの生涯のクライマックスを見ることにある。なぜなら結局のところ、キリスト教の中心、
私たちの信仰の中心は、イエス・キリストであるからだ。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの宗教は唯一神信仰であるが、
キリスト教がイスラム教とユダヤ教と決定的に違うのは、イエス・キリストを唯一まことの
救い主としている点である。

イエス・キリストは最後の晩餐の後、弟子たちとオリーブ山へ行かれた(マタイ26:30)。

オリーブ山は、イエス・キリストが復活後に昇天された場所(使徒1:9−12)、またイエス・キリストが再臨される場所である(ゼカリヤ書14:4)。

                                   オリーブ山から撮った写真
   



オリーブ山から徒歩で歩いて降りていくと、麓にゲツセマネの園がある。ここでイエス・キリストは受難(全人類の罪の身代わりとして
十字架に架かって死ぬこと)の前に苦しみ悶えて祈られ、そして捕らえられた(マタイ
26:36−56)。

   



エルサレム市民の台所と言われているマハネヤフダ市場でランチタイム。イスラエルの物価は非常に高い。印象として日本の2倍だ。
人がいっぱいでとても活気があった。イスラエル総選挙の日だったことも関係があったかもしれない。

   

   



そして午後からは、「祈りの塔」見学とストリートライブ。


「祈りの塔」とは、世界中から重荷を与えられてエルサレムに集められたクリスチャンたちが1日24時間ノンストップで祈りを捧げている場所。
1年365日祈りと賛美が途切れることなく主が礼拝されている。何チームもあり、2時間くらいで交代していくのだ。
1日12チームあれば良いことになる。夜中の人たちは大変だと思うが、主からの召しを受けた人たちが熱心に祈りと賛美礼拝を捧げている。

本当に素晴らしい。ここで私たちは「祈りの塔」の説明を受け、実際に祈りと賛美の時を持った。
聖書的には旧約時代、ダビデの幕屋で1日24時間ノンストップで祈りと賛美が捧げられていた。歴史的にはジョン・ウェスレーが大きな影響を
受けたモラヴィア派が長年ノンストップで祈りと賛美を捧げていた。現代では、アメリカのIHOPが有名だ。もちろん他にもたくさんある。

ここはビルの上階に位置するので、エルサレムを東西南北見渡すことができ、まさに祈りの塔というにふさわしい場所だ。
特にエルサレムの平和のために祈っているのだ(詩篇122:6)。


 
                               「祈りの塔」から見えるエルサレムの景色
   


非常に恵まれた後、私たちはエルサレムのベンヤフダ通りというところで、ストリートライブを行なった。少しでもエルサレム市民を
励ましたいという気持ちからである。

イスラエルは世界で孤立している。(イスラエルの最大の味方は、政治的にも霊的にもアメリカであることは間違いないだろう。
私たちが訪問した「祈りの塔」のリーダーもアメリカ人だった。)

私たちはイスラエル国家や黄金のエルサレム(エルサレム市歌)などを日本語とヘブル語で歌った。集まってくれた人々はとても喜んでくれた。
自分たちのことを気にかけてくれている人がいると知ることは嬉しいものだ。そのように感じてくれたのではないだろうか。
一緒に歌い、一緒に踊ることができた。

  これは途中で、最後にはもっとたくさんの人々が集まってくれた。
   


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3月18日(水)

この日も一日エルサレム観光。
午前はまずブリッジス・フォー・ピースが支援している女子高校を訪問して文化交流。それからイスラエルへの食料支援をしているブリッジス・フォー・ピース
エルサレムフードバンクを訪問。

女子高校でもストリートライブの時のように、イスラエル国家や黄金のエルサレム(エルサレム市歌)などを日本語とヘブル語で歌った 。
ある一人の女子校生が感動しているようで涙を流していた。それを見てこちらも感激してしまった。


                  女子高校                                              フードバンク
   



午後はペテロが3度イエス・キリストを否んだカヤパの宮邸跡に立つ鶏鳴教会へ行った。それからイエス様が十字架を担いで
歩まれた「ヴィア・ドロローサ」(苦難の道という意味)を歩いた。700メートルある。私たちも順番に十字架を担いで歩いた。軽いのだが。
自分が救われていることを改めて心から感謝した。そして「ヴィア・ドロローサ」の終点が聖墳墓教会(ゴルゴタの丘)。
イエス様が十字架に架けられ殺された場所だ。

個人的にはゴルゴタの丘をもっとシンプルに残し保存してもらいたいと感じた。その方がもっと恵まれると思うし、イエス様を黙想しやすい
のではないだろうか。
何だがあまりにもコテコテで、、、、カトリック教会と正教会が管理しているということなので、納得したが、、、、



                                        鶏鳴教会                                      
   

       
                                       ヴィア・ドロローサ

   




                                          聖墳墓教会(ゴルゴタの丘) 

   


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3月19日(木)

イスラエル旅行最終日です。

午前まず園の墓へ行きました。ここは十字架で死なれたイエス・キリストが葬られた墓です。

ここにはイエス・キリストの骨は今でもありません。なぜなら彼はよみがえられたからです。

イエス・キリストの復活に希望があります。

復活の主イエス様を皆で礼拝し、聖餐式を持ちました。感慨深い時となりました。




  このガイドの人はイエス様みたいな顔ですね? 一瞬イエス様かと思いました(笑)。
   



その後、16日に行けなかった嘆きの壁へ行きました。嘆きの壁はAD70年にローマ軍によってエルサレムが陥落させられた時に残された壁です。
ユダヤ教の最も聖なる場所とされています。小さい帽子(キッパ)をつけないと入れないのです。


 イスラエルでは13歳で成人になりますが、この少年は記念撮影をしていました。決まってますね。
   


             私も祈りました〜。                                     
   




カイザリヤ。
ペテロが異邦人コルネリオを救いに導いたカイザリア(使徒の働き10章)。
またパウロが福音を異邦人の世界に向けて出港していった地中海(使徒の働き25章)。

自分も再びここから異邦人の地(日本)へ遣わされて働きをする。
素晴らしいイスラエル旅行でした。ぜひいつかまた行きたいです。 <完>